待たせてごめん
「待たせたわね。ごめんなさい」
そういってレイは後部座席のドアを開け、車に乗り込んだ。小鳥が巣の中にゆっくり入るような、可憐な仕草だった。
僕は動揺していた。タイミングというか、間が何となく悪かったからだ。何か喋ろうとした途端に相手が喋りだしてきて、こちらがつっかえてしまうような感覚に似ている。僕は何もやましいことはしていないけど、予期せぬタイミングでレイが戻ってきたものでびっくりしていた。気配も消えていたと思う。いつもは僕が後部座席のドアを開けてあげるのだが、レイが戻ってきたことに気付けなかったのでそれすらもできなかった。
「う…ううん。大丈夫だが。大して待ってなんていないさ」
僕は動揺が顔に出ないように努めた。レイは特に何も気にしていないようで、自分のバッグの中身を少しだけチェックするなどしていた。
僕の名は石田あきら。40歳無職から始めたデリヘルドライバーだ。パチ屋をクビになったので、「男の風俗求人サイト」という求人サイトに載っているお店に電話した。そして見事デリヘルドライバーとなったのだ。レイに言いたいことがあるのだがうまく聞けるだろうか…。
デリヘルドライバーの仕事中
僕たちは道路工事しているおっちゃんや、疲れた顔でコンビニバイトしている大学生がいたホテル街を後にした。
小雨交じりのドライブは何となく神妙な気持ちにさせた。明滅する信号の赤や黄の色がいつもより少しだけ幻想的に見えた。
僕はレイに何を話しかけようか迷ったが、まずは何でもない会話をしようと思った。
「仕事お疲れ。今日は少しお疲れかな」
「ん…そうでもない」
バックミラーにはレイの真っ赤な口紅が映った。それはとても艶めかしくて何とも言えない気持ちになった。こういうときに生殺しなのはデリヘルドライバーのデメリットだなと僕は思った。
帰ったらゆっくり休みなよと僕はいった。レイはうん。と言った。
会話はそこで終わった。僕のコミュ障具合がいかんなく発揮された形だ。
僕にはもう引き出しがなかった。そして夜中でもあるので運転に集中していた。
「何か悩んでいる?」
突然レイが話しかけてきた。
「何か話し方がぎこちないと思って。何もないならいいんだけど」
「いや、まぁなんというか」
どうするオレ。少しだけ逡巡したが、結局話すことにした。
「レイがさっき10億円もらっても店をやめないと言ったのが気になってさ…。なんでだろうと思っただけだ」
「お前のことが気になるんだ」
緊張すると変な口調になってしまう。これは昔からの癖でなかなか治らない。でもレイは特に気にしてないようで、すぐに応じてくれた。
「ああ…あのことか」
「うまくは言えないな。でも…」
雨音が少し強くなり、一瞬フロントガラスに大きな音を立てた。
「やることがあるから」
やること
お店に着くと、僕はレイに「ありがとう」と言われた。「大したことではないから気にしないで」とも。
僕はデリヘルドライバーになって初めて感謝された気がした。正直、僕がやっていること。デリヘル嬢をホテルまで送り届けるという仕事は、仕事内容だからやっているわけであり、ボランティアではないので、感謝される筋合いはないのが本当のところだろう。
どうしてレイに感謝されたのか。しっかりとは分からないが、恐らく心配してくれていると思ったのだろう。自己肯定感が低い子なのかもしれない。普通あんな言い方したら口説いてると勘違いされてクビになってもおかしくないのに。良い子だ。
この店は当たりかもしれない。もう少し頑張ろう。そう思っていました。この後に起こることを知るまでは…。